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東京地方裁判所 昭和41年(特わ)55号 判決 1968年11月30日

本店所在地

東京都中央区日本橋通二丁目二番地

政岡商事株式会社

(右代表者代表取締役 政岡弥三郎)

本籍

大阪市阿倍野区北島西一丁目三一番地

住居

東京都文京区千駄木一丁目一一番一〇号

会社役員

政岡弥三郎

明治三一年七月一〇日生

右の者に対する法人税法違反被告事件につき、当裁判所は、検察官川島興、弁護人西村真人出席の上審理して次のとおり判決する。

主文

被告会社を罰金七〇〇万円に、

被告人政岡弥三郎を罰金一〇〇万円に各処する。

被告人政岡弥三郎において右罰金を完納することができないときは、金一万円を一日に換算した期間同被告人を労役場に留置する。

訴訟費用は全部被告人の負担とする。

理由

(罪となるべき事実)

被告会社は、東京都中央区日本橋通二丁目二番地に本店を置き、金銭貸付等を目的とする資本金一、〇〇〇万円の株式会社であり、被告人政岡弥三郎は、右会社の代表取締役としてその業務全般を統括しているものであるが、被告人政岡は、被告会社の業務に関し法人税を免れようと企て、受取利息収入や手形割引料収入の大部分を脱ろうとする等の不正な方法により所得を秘匿した上、昭和三七年一月一日より同年一二月三一日までの事業年度において、被告会社の実際所得金額が八、五六五万三千三五七円あったのにかかわらず、昭和三八年二月二七日東京都中央区日本橋堀留町二丁目五番地所在の所轄日本橋税務署において、同税務署長に対し、欠損金額一五万八千七〇二円で納付すべき法人税額はない旨の虚偽の確定申告書を提出し、もって同会社の右事業年度の正規の法人税額三千二四四万八千二五〇円を法定の納付期限までに納付せず、もって同額の法人税を免れたものである。

(右所得の計算は、別紙第一修正損益計算書のとおりである。)

(証拠の標目)

略語・(大) 大蔵事務官に対する質問てん末書

(検) 検察官に対する供述調書

(回) 回答書

1  被告人の当公判廷における供述

2  被告人の(大)六通

3  被告人の(検)二通

4  被告人の別件における供述記載(公判調書謄本)

5  被告人の上申書五通

6  証人綾野友文の当公判廷における供述

7  貸金業の届出有無についての回答書

8  被告会社に関する登記簿謄本

9  高山増一の(大)二通

10  小松原賢誉の(大)、上申書および証明書

11  菊地正男の(大)二通

12  山副博士の(大)三通

13  久保田亘の(大)

14  角橋安正の証人尋問調書謄本

15  角橋安正の(検)

16  復興建築助成株式会社に関する商業登記薄謄本四通

17  登記官鈴木重二作成の登記簿謄本七通

18  登記官金子博作成の登記簿謄本三本

19  登記官宮崎健造作成の登記簿謄本

20  守谷良平の(回)

21  高山増一の(回)二通

22  高山増一の確認書

23  本沢幸男の上申書

24  菊地テルの(回)

25  北村三郎の(回)

26  島田正の(回)四通

27  金子幸子の(回)

28  鈴木鮮二の(回)

29  笹井達一郎の(回)

30  井上操の(回)

31  児林留治の(回)

32  石川徳平の(回)

33  志村寛の(回)

34  高橋立三の(回)

35  水越晴信の(回)

36  向井六郎の(回)

37  鈴木荘六の(回)

38  鎌田きぬの(回)三通

39  鈴木信一の(回)

40  吉村一子の(回)

41  山副博士の(回)

42  周銀昌の(回)

43  後藤馨の(回)

44  久保雄夫の(回)

45  野下勝之助の(回)

46  山田磯吉の(回)

47  井上常七の(回)

48  和田蒔子の(回)

49  馬場滋の(回)

50  馬場令子の上申書

51  荒川ヒサヱの(回)

52  吉田はつの(回)

53  久松勇之助の(回)

54  森井ツルの(回)

55  古屋義造の(回)

56  青木嵩夫の(回)

57  浅野秀丸の(回)

58  桜井芳郎の(回)

59  市川定雄の(回)

60  川村美太郎の(回)

61  高橋三千男の(回)

62  石内一郎の(回)

63  村田芳昭の(回)

64  村田久雄の(回)

65  市沢良助の(回)

66  貞広輝栄の(回)

67  松下武男の(回)

68  小川富久の(回)

69  山下武の(回)

70  荒木一作の(回)

71  遠矢愛作の(回)

72  内田忠敏の(回)

73  長倉信雄の証明書

74  徳原明の証明書二通

75  斎藤芳治の証明書二通

76  吉田善作の復興建築助成(株)賃金調査書

77  竹内友昭の未経過割引料(公表分)調書

78  竹下文男の預金残高および預金受取利息調書

79  福永寛の銀行調査書類

80  溝口善次郎の証明書

81  竹下文男の政岡商事(株)昭和三八年度元帳のうち貸付金勘定元帳写

82  元帳一冊(昭和四一年押第一、三八七号の1)

83  金銭出納帳二冊(同押号の2)

84  決算書及び申告書一綴(同押号の3)

85  源泉徴収簿一綴(同押号の4)

86  領収書等一袋(同押号の5)

87  復興建築助成貸金関係書類一袋(同押号の6)

88  貸付金に関する手帳(八冊)一袋(同押号の7)

89  復興建築助成(株)関係書類一袋(同押号の8)

90  前同(登記簿謄本)一綴(同押号の9)

91  政岡商事(株)法人税確定申告書一綴(同押号の10)

(弁護人の主張に対する判断)

一  復興建築助成株式会社(以下単に復興建築という。)に対する貸付金利息収入および貸倒損について

(一)  弁護人の主張

被告会社の復興建築に対する貸付金利息収入(別紙第二の表1ないし13)は以下の理由により発生せず、かつ貸倒損を計上すべきである。

(イ) 貸付金とされる金二〇〇万円(別紙第二の表11)は、被告会社が浅見物産株式会社に対して支払った立退料であって、復興建築に対する貸付金ではなく、(ロ)金二、一〇〇万円の貸付金元本債権につき、被告会社は昭和三六年九月一五日、復興建築より代物弁済として、その所有にかかる東京都中央区日本橋蠣殼町一丁目二番地一家屋番号同町一八五番の建物鉄筋コンクリート造の事務所の所有権の移転を受けたから、右元本債権は消滅した、(ハ)金三、〇〇〇万円の貸付金元本債権につき、被告会社は昭和三六年一〇月一九日、復興建築より代物弁済として、その所有にかかる東京都中央区日本橋小網町三丁目一番七、同番の一四、一五、一六の宅地およびその地上の建物木造平家建倉庫一棟の所有権の移転を受けたから、右元本債権は消滅し、(ニ)金一、八〇〇万円の貸付金元本につき、被告会社は復興建築より、昭和三七年二月一日担保物件である同会社所有の建物の処分代金より金五〇〇万円と金二〇〇万円の合計金七〇〇万円、同年八月三一日担保物件である同会社所有の建物処分代金より金一、〇〇〇万円総計一、七〇〇万円の内入弁済を受けたから、該部分の債権は消滅し、残金一〇〇万円は回収不能に帰したので放棄し、(ホ)金一、五〇〇万円(昭和三七年二月二六日および同年三月六日の貸付元本分二口)につき、被告会社は復興建築の株券五万株を担保としていたところ、昭和三七年一一月に右担保株券が全部ダブル株で無効なものであることが判明したため、右株券を廃棄したが、そのため右貸付金の元利とも回収不能となり、右貸付金債権を放棄した。以上の理由により、貸付金元本が消滅ないし回収不能となったから、これに対する未収利息はそれぞれ発生せず、また(ニ)の金一〇〇万円(ホ)の金一、五〇〇万円は本件事業年度における貸倒損として計上すべきである。

(二)  右主張に対する当裁判所の判断

貸金利息収入額中復興建築に関する部分の明細は別紙第二のとおりである。

(イ)について。前掲証拠6、89中昭和三七年第二八四号抵当権設定債務弁済契約公正証書正本およびこれに附ずいする念書コピーその他関係証拠をあわせると、復興建築は、被告会社に対し、借入金の譲渡担保として、東京都中央区日本橋小網町三丁目一番地所在の宅地の所有権を形式的に移転するにあたり、右宅地上の建物を賃借り使用していた浅見物産株式会社を立退かせることを約定したが、同会社に対する立退料を自ら支払い得なかったので、被告会社が復興建築に代わり右浅見物産に対して立退料および関連費として二一六万円を代位弁済したこと、従って被告会社は、右代位弁済により復興建築に対し求償債権を有することになったが、その中金二〇〇万円の部分を目的として月三分五厘の利率の約定の下に消費貸借契約を結んだことが認められるのである。右元本金二〇〇万円の貸付金に対する利息収入(別紙第二の表11)は、右準消費貸借に基づくものであるから、弁護人の主張は失当である。

(ロ)、(ハ)について。前掲証拠4、6、17、89中昭和三六年第六、二五二号および第五、〇三三号の各債務弁済契約公正証書正本およびこれらに関連する各念書その他関係証拠によれば、まず公薄上、(ロ)については昭和三六年一〇月二〇日、(ハ)については同年九月一五日にそれぞれ弁護人主張の貸付金に対する代物弁済として、被告会社は、その主張の復興建築所有の各不動産の所有権の移転を受けた(但し移転登記名義人は村田芳昭)ごとき形態がとられていること、しかしながら、右は真実代物弁済として給付されたものではなく、それぞれの貸付金の担保のためになされた売渡し、すなわち譲渡担保であること、したがって貸金契約はいぜん継続していることが明らかである。弁護人の右貸金債権消滅の主張もまた失当というべきである。

(ニ)について。弁護人の金一、七〇〇万円の内入弁済の主張事実は、関係証拠により肯認される(別紙第二の表10のとおり、右元本に内入弁済をなした前提で利息収入算定をなしている。)。しかしながら残存元本金一〇〇万円の債権については、当該事業年度に回収不能となり、あるいは被告会社において右債権を放棄したような事情は一切認められないから、弁護人のこの部分に関する貸倒損の主張は採用しない。

(ホ)について。前掲証拠6、14、15、89中昭和三七年第一、八六四号抵当権設定債務弁済契約公正証書正本、同年第一、八六五号債務弁済契約公正証書正本、38・3・26付株式譲渡証書およびこれに関連する念書その他関係証拠をあわせると、被告会社は、弁護人主張の債権の担保として、復興建築の株券五万株につき質権を設定したこと、ところが右株券はいわゆる補助株券で担保価値がないことが後に判明してこれを焼却してしまったことが認められるが、右貸付金債権が当該事業年度において貸倒れとなり、あるいは回収不能となったような事情は何ら存せず、むしろ右各証拠をあわせると、その後も被告会社と復興建築との間には金銭消費貸借やこれにともなう担保権設定の約定が行われていることがうかがわれるから、弁護人の右主張は採用しない。

二、未収利息の所得計上について

(一)  弁護人の主張

昭和四〇年改正前の所得税法一〇条一項は「収入金額はその収入すべき金額により」と明文をもって発生主義を採用する旨規定しているのに反し、法人税法にあっては、九条一項に「内国法人の各事業年度の所得は、各事業年度の総益金から総損金を控除した金額による。」と抽象的に規定しているのみで、損益金発生の時期につき、現金主義をとるのか発生主義をとるのかいずれにせよ規定はない。逋脱犯においては、明文の規定がない以上、現金主義によるべきで、現実に金銭の収受のない未収利息を当該事業年度における法人の逋脱所得に計上すべきでない。

(二)  右主張に対する当裁判所の判断

法人税法上内国法人の各事業年度の所得は、各事業年度の総益金から総損金を控除した金額によるものとされる(改正前の法人税法九条一項)が、その所得計算にあたっては、現実の金銭収支の時をもって損益帰属の時期とする現金主義と、現金収支の如何を問わず損益の帰属を確認し得る事実に基づいて計算する発生主義のいずれによるかについては明文はない。けれども近代企業会計においては、現金主義によっては企業の損益を正確に把握し難く、収益又は費用の認識の基準として発生主義が原則的に採用されているのであって、公正、安全な会計原則を基調とする法人税法上の所得計算においても、課税の明瞭、確実を期する上から、発生主義の原則が採用されているものと解さなければならない。(昭和四二年の改正後の所得税法においては、小規模事業者につき「収入した金額を所得」とすることができるいわゆる現金主義が認められるに至った(同法六七条の二)が、これは正に発生主義の原則に対する特例的規定である。いわんやかかる規定の設けられなかった継続的企業としての法人について、発生主義が排除され、現金主義をとるべきであるが妥当であるとはとうてい解されない。)

よって弁護人の右主張は失当というべきである。

三、利息制限法所定の制限利率を超える未収利息収入について

(一)  弁護人の主張

被告会社の本件所得には、復興建築に対する各貸付金の月三分五厘の割合による未収利息収入が計上されているが、各貸付金はいずれも元本が一〇〇万円以上であるから、その利息は、利息制限法所定の年一割五分を限度とすべく、これを超過する部分は当該事業年度における所得を構成するものと解すべきではない。なぜなら、利息制限法一条一項により、制限利率を超える利息の約定は無効であり、超過利息部分については法律上請求し得ず、かつそれを受領しても、民法四九一条により残元本金に充当されると解される結果、元本債権が残存する以上、受領した超過利息部分は当然残元本金の弁済に充当したものとみなされるのである。したがって違法な超過利息を受領し、これを所得とすることは、残元本金の存在する限り、法律上はもちろん、事実上も不可能となったのである。のみならず、このような違法な利益を税務計算上所得に加えることは、国が違法行為を公認する結果となり、不当である。

(二)  右主張に対する当裁判所の判断

債務者が利息制限法所定の利率を超える金銭消費貸借上の利息、損害金を任意に支払ったときは、制限利率超過部分は、同法一条四条の各一項により無効とされ、その部分の支払は、民法四九一条により残存元本に充当されるものと解される(最高裁昭和三九年一一月一八日判決)。利息制限法は、私法取引における契約自由の原則の例外として、債務者の窮迫等に乗ずる債権者の暴利行為を禁止する政策的な立法に外ならない。

しかしながら、このような債務者保護の法律が存するにかかわらず、消費金融や少額の生産金融等において、同法違反の高金利契約が跡を断たないことは、その社会的背景についての吟味はさておき、公知の事実である(質屋営業における高金利につき、検事川島興の電話聴取書)。かかる高金利契約において、債務者が自ら法の保護を放棄し、自由な意思に基づきこれを履行し、よって債権者に経済的利益を得せしめることまで法は禁遏するものでなく、それはいわば法の放任行為たらざるを得ない。但し、出資の受入、預り金及び金利等の取締りに関する法律は、日歩三〇銭を超える高金利契約につき、刑罰による規制を加えている。

ところで、税法は納税義務者の担税力に応じた公平な税負担の分配を意図するものであり、課税対象たる所得は、当該事業年度における資産の増加額から資産の減少額を控除した後の金額をいうものと解され、経済的な利益の発生という角度から把握されるのである。したがって所得を構成すべき経済的利益の発生原因が、当事者の契約に基づく場合、その契約が客観的な私法の適用、評価の面から違法、無効とされる性質のものであっても、当事者がこれを有効なものとして取扱うことにより、課税上納税義務者が該契約の効果としての経済的利益を享受するに至る場合には、その経済的利益をもってこれを当該事業年度の所得に算入せしめるものと解すべきである。従って未収利息についても、それが制限利率を超過し、私法上無効とされるにせよ、債務者がこれを有効として取扱い、利息制限法による保護を求めていない場合には、当該利息収入もまた所得を構成するものと解せざるを得ない。このような解釈は、課税の目的と、税法上の所得に関する経済的な考察方法に基づく、租税法上の帰結なのであって、私法取引上における強行規定を無視するものでもなければ、違法行為を容認するものでもない。もし利息制限法違反の利息契約につき、当事者間にその有効性をめぐって争いが生じ、あるいはかかる契約にかかわらず制限利率に変更する合意が成立する等の事情が存するような場合には、同法が適用される結果、制限利率超過部分は、納税義務者にとっても経済的利益として期待し得ない結果となり、当該事業年度における所得を構成するに至らない場合もあり得るのである。

そこで本件についてこれを検討するに、当該事業年度における被告会社の復興建築に対する貸付金元本は、いずれも一〇〇万円以上であるところ、その約定利率は月三分五厘であるから、右利率は、利息制限法所定の年一割五分の制限利率を超過することは明らかである。しかしながら、関係証拠によれば、被告会社においてはかような高金利の貸付は例外ではなく、又当時復興建築においても、代表取締役角橋安正は右高金利を支払う旨確約して貸付を受け、被告会社に対し相応の物的担保を供して再三にわたり金融取引を継続していたのであり、この間制限利率超過部分を争うような気配もなく、被告会社においても、かような担保に裏付けられた貸付金利息収入を期待しかつ管理支配していたと認められるのである。このような事情の下では、税法上、たとえ制限利率を超過する未収利息であっても、前述した理由により、期間到来分については、被告会社の当該事業年度における所得を構成するものと認めなければならない。

以上のとおりであるから、弁護人の右主張は採用しない。

(法令の適用)

判示所為につき、昭和四〇年法律第三四号附則一九条により改正前の法人税法四八条、被告会社につきさらに五一条。

換刑処分につき、刑法一八条。

訴訟費用の負担につき、刑事訴訟法一八一条一項本文。

よって主文のとおり刑決する。

(裁判官 小島健彦)

別紙第一 修正損益計算書

政岡商事株式会社

自 昭和37年1月1日

至 昭和37年12月31日

<省略>

<省略>

別紙第二 復興建築助成株式会社に対する貸付金受取利息明細表

<省略>

昭和四四年(う)第一四一号

控訴趣意書

被告人 政岡商事株式会社

同 政岡弥三郎

右者等に対する法人税法違反報告事件に付き左記の通り控訴趣意を開陳する。

昭和四四年三月三日

右被告人両名弁護人 西村真人

東京高等裁判所一刑事部

御中

第一点 原判決には本件所得の帰属者自体について事実誤認があり、その誤認が判決に影響を及ぼすことは明白である。

一、本件所得の帰属者についての事実誤認。

(一) 原判決は本件(原判決摘示)の所得者自体(所得の帰属者)を被告人政岡商事株式会社(以下被告会社という)である旨を認定しているが、これは根本事実を誤認したものである。即ち、

本件所得者(原判決摘示の所得額については後記の通り事実誤認があるが、しばらく別問題とする。以下同じ)は被告人政岡弥三郎であって(以下被告政岡という)断じて被告会社ではないのである。抑々本件所得の基礎となった金融取引は被告政岡の取引であって、被告会社の取引ではない。従って原判決が「罪となるべき事実」に於て認定しているその余の事実は総て当然、事実を誤認しているものであることは多言を要しないところである。

(二) 右事実誤認を主張する理由。

(1) 被告会社は昭和三五年一月一九日、資本金五百万円(後は資本金一千万円に増資)で発足した会社であって、その代表者は被告政岡の子供である政岡武であり、同人と綾野友文が経営していたものであるが、右五百万円は、被告政岡が次男武のために贈与して独立せしめ、被告政岡とは全く関係なく、別個に金融業等を営んでいたものであるが、代表者武が同年六月に死亡したので、被告政岡は子供の記念と被告政岡の子飼いの綾野のために同人の懇請によって被告会社を存続させることにし、被告政岡が同年七月四日、被告会社の代表者となったのである。けれども、前叙の事情のほか、被告政岡は他に別会社を経営する等、東京、熱海、大阪等東奔西素していたので、被告会社の事実上の経営は綾野に任せられていたものである。

他方被告政岡は、昭和三一年一月二七日東京都に金融業の届出をなし、東京都金融業連合会に加入し個人として金融業を経営していた者であるから、被告政岡と被告会社の各金融取引はそれぞれ、その発足、資本、顧客、経営者に異にし、全く別個独立の存在であったのである。

たまたま途中で被告政岡が被告会社の代表者になったとはいえ、前叙の事由により、被告会社の取引分と、被告政岡の取引分とは区別して経営されていたのである。即ち、被告会社分は会社帳簿に記載し、被告政岡分は被告政岡の手帳にメモされて区別されていたのであり、被告会社は帳簿に基き正確に法人税の申告をして居り、被告政岡は昭和三五、三六、三七の各年度の各金融取引による所得税の申告をしていないけれどもそれは莫大な欠損により申告すべき所得(利益)がないためである。

以上の事実は原判決の「証拠の標目」に掲記されている、被告政岡、証人綾野の原審における供述、被告会社の商業登記簿謄本、貸金業の届出有無についての回答書、被告会社の元帳、同金銭出納帳、同決算書及び申告書、被告政岡の貸付に関する手帳等その他の証拠により明白である。

(2) 被告会社は昭和三八年になって日本橋税務署の法人税課員の調査を受け、その結果、被告政岡の取引分についても事実上調査が行われ、その結果、同税務署員(中原、鈴木、那波等)の要求、指示と、被告の依頼した元税務署、前国税局調査官、税理士富永敏の指示助言により、昭和三八年一〇月頃、被告政岡の昭和三五、三六、三七年度取引分関係分を被告会社の設立当時からの取引分であるとさせるための引継書(念書)を昭和三五年一月一九日付で書かされて提出させられ、これに基き右被告政岡の取引分を被告会社の取引であったとするための被告会社の各書類を作成提出させられ、その結果被告会社の修正申告が行われるべく余儀なくされたのである。

右引継書の作成に関しては被告政岡や綾野は被告会社とは別個の被告政岡の取引であり、且つ被告政岡は被告政岡の取引については莫大な欠損がある旨を主張して強く抵抗したのであり、同税務署の調査官も、富永税理士も被告会社の取引であるか、将又、被告政岡の取引であるか、事実認定に困難視していたのであるが、結局、法人税課員の調査であり、被告会社の取引であると認定され、その指示に基き富永税理士が税務署と打合せのうえ引継書(念書)の原稿を作成し、これを綾野が清書し、被告会社の記名捺印して提出するに至ったのである。右引継書は被告会社からの任意提出の形をとっているけれどもそれは決して被告会社や被告会社の真の自由な意思に基くものでもなく、又それ自体真実ではない。

被告会社や被告政岡等が前記の如く抵抗を中止して指示通り引継書を提出するに至ったのは富永税理士が税務署と交渉の結果、話しがついて、右引継書を提出すれば、被告会社についても被告政岡個人についても調査を打切り、右引継書に基く被告会社の修正申告による税金を納付すればよく、後は追求しないという趣旨の富永税理士等の言を信用し、被告政岡としては調査追求を受けても莫大なる欠損があるためそれ自体は問題はないが、調査を継続されている間、そのわずらわしさ、心理的圧迫、事業の停滞、顧客に及ぶ迷惑、税務署員の心証を害することによる懸念、被告政岡の負担能力等を考慮し真実ではなく、且つ本意ではないが、引継書の提出に応じたのが真相である。被告会社や被告政岡等が右引継書を提出するに至った最大要素が調査の打切り、引継書に基く被告会社の修正申告及びこれに伴う納税以外に一切追求が行われないと云うことであったことは勿論であり、被告等がこれが条件であったと主張することは過言であるとは云い得ないところである。税務署と話し合いがついたとして富永税理士に報酬名下に金壱百万円の大金を支払った事実(手数料は着手の際支払ってある)、その直後、突然国税局の査察が行われた際の富永税理士や被告政岡の著しい憤概の事実だけでも右真相が明白であるが、抑々被告会社設立の当初に遡って日付は勿論事実関係を被告会社の取引分として引継書を作成せしめること自体、真実に反するものであることが明瞭である。

なお右引継書は被告政岡の取引分のうち、債権と担保不動産等、積極財産部分だけが引継させられたのであって、被告政岡の取引による莫大なる損失分は引継から除外されている。被告政岡の取引分が被告会社の取引分として認定されたのであるならば当然その欠損分も全部引継ぎされなければならないことは云うまでもなく、若し又、被告等が真の自由な意思に基いて任意に引継が行われたのであるならば、当然欠損分も全部引継書のうちに記載して引継いでいる筈である。そうすれば被告会社の修正申告は著しく変更さるべきであることは云うまでもないが、前叙の事由により税務署との話し合いがついたので、その指示に従い引継書の提出、及びこれに基き後記の通り修正申告が行われるようになったのである。

前記の如く、税務署と話し合いがついた直後、東京国税局の査察が入ったのであるが、被告政岡が実際取調べを受けたのは半年以上経過後で、同人がその後、がんのため入院大手術を受け漸く退院し、熱海で静養し始めてから、病床である身にもかかわらず、東京国税局査察官、福永、吉田の両名が二晩泊り込み三日間連続で取調べをなし、前記引継書を前提として、修正申告書の原稿を作成し、これを被告政岡に交付してこれと同旨の修正申告を提出するよう要求した。被告政岡は前叙の経緯を述べ抗争し、人権無視も甚だしいと思料したのであるが、生命にはかえられないこと、且つ既に引継書が提出されていることであること等を考慮して止むなく服従したものであるから、原判決の「証拠の標目」に掲記されている被告人の大蔵事務官に対する質問てん末書は真実が記載されたものではない。従って亦、同じく掲記されている被告人の検察官に対する供述調査も真実に反する点が記載されて居るのである。蓋し検察官の取調べは大蔵事務官に対する質問てん末書等に基いて行われ、被告人も敢えて真実を強調して万一にも心証を害し逮捕でもされては困ると云う素人考え等からも、従前の供述の基本を変更するような供述調書の作成とはなっていないのである。

右の次第であるから、被告人は原審において始めて被告会社の取引ではなく被告政岡の個人取引であると主張したのではない。

右事実は原判決「証拠の標目」に掲記されている被告政岡、証人綾野の原審に於ける各供述及び右「証拠の標目に掲記されていないが、原審に於ける証人鈴木東海(第一二回公判)、同富永敏(第一三回公判)における各供述並に第一二回公判に於て検察官から証拠として提出された「昭和三五年一月一九日付念書写」等によって明白である。

なお税務署の法人税課員が法人に付き調査した際、代表者個人の所得を発見した場合、これを所得税課へ廻付して所得税課で調査課税するということは筋道ではあるが実状はその通りに行なわれているとは限らない。各課の繩張りがあり各課各人の成績に関すると云うこともある。所得税課へ廻付すれば被告政岡の莫大なる欠損のため、所得税を課することはできない実状もあったのである。鈴木、富永の各証人は何れもその立場上、言明をさけたり緩和された表現をしているが、被告政岡の個人取引分を被告会社の取引分として「引継」させたことは明白であり、須らく裁判所の賢察を要する点である。

本件はいわゆる「法人成」とは類を異にするものであり、又被告政岡が被告会社の株主総会の決議を得ていないというようなことは別個の問題である。更に被告会社は設立当初、資本金五百万円であったが前記事由により被告政岡が被告会社の代表者に就任(同年七月四日)後、被告会社の資本金を壱千万円に増資し、(昭和三七年五月一日)以後壱千万円の枠内で貸付を行って来ていたのである。而して被告会社が被告政岡個人名義で被告会社として貸付を行っていたとするならば、被告会社は前記のような増資をする必要は毫も存在しないのである。

第二点 仮りに右第一点の主張が認められず、本件所得の帰属者が被告会社であるとしても、原判決には左記の通りの違法があり、該違法が判決に影響を及ぼすことは明白である。

一、所得額の認定

原判決が認定した本件所得額は事実誤認、法令誤解によるものである。原判決は「弁護人の主張に対する判断」と題する部分において、(一)に弁護人の主張を掲げ、(二)において右主張に対する原審の判断を掲記しているので、以下右原審の判断の順序に従って述べることにする。

(一)(イ)についてと題する分(二〇〇万円分)に関して

(1) 原審は被告会社(仮定論以下同じ。真実は第一点において主張する通り被告政岡であると主張するものであるが、第二点は仮定的立場であるから、被告会社としておくものである)浅見物産に対して立退料として支払った二一六万円を復興建築のために代位弁済したものであるとの事実認定をしているが、右は証人綾野の原審における供述によって明らかなる如く、被告会社が所有権を取得した宅地の一部地上に被告会社所有に帰属しない建物(復興建築所有、未登記)が存在し、該建物を浅見物産が使用していたので、被告会社が右所有地を更地として売却する妨げとなるため、復興建築の意思に関係なく、被告会社独自の意思で被告会社の利益のために浅見物産に立退料として支払ったものである。被告会社と復興建築との間に浅見物産を立退かせると云う約定は存在しない。復興建築が明渡を確約する旨を申し入れているのは他の物件であり-昭和三六年九月一九日付確約書-三〇〇〇万円分-浅見物産使用の建物は含まれていない。浅見物産の使用建物は未登記であったので気付かず契約の目的物件から除外されていたのである。従って被告会社は復興建築から浅見物産に対する立退料 支払ってくれと依来された事実は存在しない。従って原審の右事実認定は誤認である。

(2) 右事実は法律的には被告会社が復興建築に「代位弁済」したということには該当しないことは云うまでもない。仮りに原判決摘示の「右宅地の建物を賃借り使用していた浅見物産を立退かせる」という約定が復興建設と被告会社間に成立していたとして、且つ同じく被告会社が復興建築に代って浅見物産に支払ったとしても該事実だけで法律上「代位弁済」であると解することは誤りである。

(3) 以上の如く被告会社は「代位弁済」をしたのではないから復興建築に対して「求償債権」を有するものでもなく、又、右、求償債権のうち二〇〇万円に付き復興建築との間に「準消費貸借契約」を締結した事実はないのである。

従って右二〇〇万円は被告会社の復興建築株式会社に対する貸付金ではない。従って一度も利息の請求した事実がないのである。

(4) 右原審の判断の資料となった原審掲記の証拠を綜合すると、前記被告会社の所有に帰属した不動産を後日復興建築が買戻すことが生じた場合、被告会社は復興建築と接渉することあるべき買戻代金の提案額に右被告会社が浅見物産に支出した立退料額とこれに対する利息相当額を加えた金額を算入する心算で、即ち、買戻代金の目安の一部として右立退料とその利息相当金を考慮に入れていたこと並に復興建築に於てもその代表者角橋が、会社財産を処分して被告会社から得た金員を会社の目的外に消費しその法律上の責任追求を免れるためには将来、買戻をしたい意向を被告会社に懇請し、真実の法律行為と異る、対面保持、責任追求軽減のための法律形式による書面(公正証書、念書)を作成、交付していたり、他方被告会社では該建物が未登記建物であるため、復興建築が自己又は第三者名義に登記されたりなどして妨害されては困るので(事実として後日復興建築に該建物へ入りこまれて莫大な立退料を支払わされた)形式上消費貸借の公正証書を作成したり、念書を受取っていることが認められるが、真実は消費貸借ではないのである。斯る書面の形式に捉われ、皮相な判断を下すことは真実を誤認し、真相を見失うものである。この点は以下述べる凡ての事実に共通するところで本件の実体的真実の発見のために極めて重要である。

(5) 以上要するに右二〇〇万円については消費貸借若しくは準消費貸借成立の事実はなく、右二〇〇万円は賃金ではない。従って利息の発生の余地はない。前記の如き買戻が実現し、その買戻代金が右二〇〇万円とこれに対する利息相当金とが算入された代金額であった場合、その時において右利息相当金分が所得として課税の対象とされることは論外として、本件の如き場合右二〇〇万円について利息が発生するものとして、これを未収利息となし、これを課税の対象とすることは法律上断じて許されないのである。

仮りに原判決の認めるが如き準消費貸借であったと仮定しても、公正証書に返済期として記載されている昭和三七年六月二〇日当時は全く回収不能であったので貸倒金であり、少くとも同日以後課税さるべきではない。

(二)(ロ)(ハ)についてと題する部分((ロ)は二一〇〇万円分、(ハ)は三〇〇万円分)に関して

(1) 原判決は(ロ)の部分(二一〇〇万円分)、(ハ)の部分(三〇〇〇万円分)については何れも「貸付金に対する代物弁済として」「各所有権の移転登記を受けたごとき形態がとられている」が「真実の代物弁済」ではなく、それぞれ貸付金の担保のためになされた売渡し、すなわち譲渡担保であり」「賃金契約はいぜん継続」して居り、弁護人の貸金消滅の主張は失当である。

(2) 然し証人綾野や被告政岡等は「売渡担保」と「譲渡担保」とを同義語として理解して居り、不動産を売買により所有権移転登記を受けているのである。公正証書には債務の担保-譲渡担保-なる文言が記載され、又念書や確約書には譲渡担保又は売渡担保なる文言が使用されているが、綾野等は譲渡担保を売渡担保と同趣旨に理解し「譲渡担保」も「売買による所有権移転」-売渡しであるから「利息はとれないもの」と解していたので利息を請求しようともせず、一度も請求していない。公正証書を作成、確約書、念書の交付された趣旨は前記第二点の一の(一)の(4)に記載の事実と同旨であり、同(5)に掲記の如る、買戻又は再売買が実現された時点において利息相当損害金が所得として課税の対象となるのであるから原判決は事実を誤認したものである。

(3) 而して売渡担保とは昭和八年四月二六日大審院第四民事部判決(民集一二巻七六七頁)によっても明らかなる如く、売買の形式により、権利を移転し、債務は存続せず、一定の金員(多くの場合元利金相当額)を支払えば権利の復帰を求めることができ、権利を復帰せしめる方法としては元利金に相当する金員を支払って買戻す等、様々な方法で行われているものであり、前記の通り、本件においては譲渡担保という用語が用いられている分もあるけれども、当事者の真意及び契約締結後の客観的事実は文書や用語の形式にかかわりなく、債務が存続せず利息も発生せず、後日復興建築が買戻を欲した場合は元利金相当額の支払を受けて売戻すという売渡担保であることが明瞭である。従って原判決は事実を誤認したか、然らずんば売渡担保の法律解釈を誤ったものであると云わなければならない。

(三) (二)についてと題する部分(一八〇〇万円分-残一〇〇万円が問題)に関して

(1) 原判決は残存元本は金一〇〇万円の債権については当該事業年度に回収不能となりあるいは被告会社において右債権を放棄したような事情は一切認められないから、弁護人の貸倒損の主張は認められない旨、判示している。

(2) 然しながら、右判決は事実を誤認しているものである。即ち、債権について、回収不能の状態が生じたときはその債権の貸倒れ処理が認められることは当然であるところ原判決は当該事業年度即ち昭和三七年一月から同年一二月までの間に、復興建築が回収不能となっていた事情、若しくは債権放棄の事情が一切認められないと認定しているけれども、復興建築は原判決の認定するところによれば、昭和三六年一二月二〇日頃、浅見物産に対する僅か二〇〇万円程度の立退料され支払えなかった状態であり、同じく本件一〇〇万円を含む一八〇〇万円の貸付金については、昭和三七年二月一日より逐次担保物件の処分により、原判決認定の如く昭和三七年八月三一日までの間に全担保物件を処分して元本内金計一七〇〇万円を回収したが、残元本 一〇〇万円が回収不能となったのである。およそ担保物件を処分して元本の回収を計らねばならぬ時は一般的に見て既に倒産し事業収益による回収の見込みがつかなくなった時であり担保物件を処分してしまってなお未回収金が残存する時は、回収不能と認定さるべきであることは常識である。復興建築は当時、右残元本一〇〇万円が回収される可能性のある財産は皆無であり回収不能であるため残元本一〇〇万円が回収される可能性のある財産は皆無であり回収不能であるため残元本一〇〇万円は放棄したのである。

国税庁は貸倒れの形式的基準について通達を出しているけれどもそれは一つの参考に過ぎないものであって右形式的基準に該当しない場合であっても、その資産状況、事業状況などを綜合勘案した結果、回収不能と認められるときは貸倒れと認定さるべきものであることは云うまでもない。右残元本一〇〇万円は、おそくとも昭和三七年八月三一日を以って回収不能と認定さるべく、昭和三七年九月一日以降は右一〇〇万円について利息は発生しないのであるから、同年九月一日以降の利息計上を認めた原判決は違法であると云わなければならない。

右事実は原判決の前記認定事実により既に明白であるから、証拠を摘示する必要もなきものと思料するものである。

(四)(ホ)についてと題する部分(一五〇〇万円、但し二口合計)に関して

(1) 原判決は弁護人主張の前提事実を認めながら「右貸付金債権が回収不能となったような事情は何等存在しない」旨を認定しているが、担保の五万株が無効であることが判明した以上、復興建築の当時の資産状態から回収不能であることは明白である。なお前記(三)の(2)の記載を茲に援用する。

(2) 原判決は「その後も復興建築との間に消費貸借やこれに伴う担保設定契約の約定が行われている」ことを理由に弁護人の主張を排斥しているが、復興建築の株主が代表者角橋を横領又は背任等問題にすることを懸念し、復興建築の過半数の株式を取得して、被告会社取得不動産に対する復興建築の少数株主の動きを封じ、取得物件に対し言いがかりをつけられないようにとの配慮の下に、金員を貸して株式を取得したのであり、右借用金は旧債に充てられたのであるから、斯る事実を以って回収不能ではないという認定をすることはできないのである。

(五) 以上、要するに被告会社の浅見物産に対する立退料支払金、復興建築に対する貸付金はそれぞれ既に消滅してしまっているのにかかわらず、原判決は被告会社の復興建築に対する貸付金元本債権として、昭和三七年一月一日から同年一二月末日までの間に、計一三口、合計金八六〇〇万円(但し内一七〇〇万円は内入弁済に付き控除計算済)が存在していたと認定して、これに対する当該年度の利息を計上し、該利息債権の存在を肯定しているのであるが、右は原審の事実誤認若しくは法令の誤解によるものであることは前叙の通りである。

而して原審の右誤認の資料となった主たるものは、元本債権消滅後も、復興建築が被告会社に交付していた、念書、確約書、約束手形等の存在であろうと思料されるのであるが、この点については既に簡略に述べたところであるが、控訴審における真相の正しい判断を仰ぐために、次の通り補足する次第である。

即ち、復興建築の代表者である角橋は、売渡担保等により所有権移転登記をしてしまった不動産は、復興建築の会社所有物件であり、これによりて取得した金員、その他抵当権設定等によりて借受けた金員は、角橋個人が、株式相場に手を出し、莫大な損失を蒙って、消費して仕舞った関係上、被告会社から受取った金員を常時復興建築の借受金として計上しておく必要があったこと、並びに角橋安正において被告会社より右物件を買戻さない場合は、背任罪、或は横領罪を以って刑事訴追を受けるおそれがあったため、角橋安正より被告会社に対し将来右物件を買戻したいとの懇請があったので、被告会社としても右買戻しの申出があった場合はこれに応ずることとし、右買戻しの際における買戻代金決定の資料に供するため、右念書、確約書、約束手形等を所謂メモ代りとして、預ったに過ぎないものであって、被告会社としては勿論前記貸付金等の存在を前提として右約束手形によりその返済を受ける意思は全くなかったのであるから、約束手形金の請求のため当該各手形を呈示した事実すら全くなかったのである。このことは綾野の証言によって特に明白である。

従って右約束手形等の存在のみを以って被告会社の前記貸付金が現存し、利息が発生するとみるのは全くの誤解に基くものと云わなければならないのである。

以上の次第であるから原判決は破棄さるべきである。

第三点 原判決は「弁護人の主張に対する判断」のうちの「二、未収利息の所得計上について」と題する分の(一)において、弁護人の主張を掲記し、(二)において右主張に対する原審の判断を掲記しているので、茲にこれを引用して重複を避けるものであるが、右原審の判断は以下述べる理由により、法令の解釈を誤り、引いて事実を誤認した違法があり、該違法が判決に影響を及ぼすことは明白である。よって原判決は破棄さるべきである。

一、仮りに前記第二点における主張が認められず、当該年度末において原審認定の元本債権が存在していたと仮定しても、

(1) 法人の所得につき法人税法上発生主義、実現主義のいずれを採るべきかについて、単に法人の会計学上慣行或は慣習として発生主義が採用されていることのみを理由として法人税法上も発生主義によるべきものとなすことは刑法定主義に反するのみならず、右法人に対する会計学上の慣行として認められているとされる発生主義も単なる企業会計上の技術的要請に基く、便宜的制度に過ぎないものであって、右発生主義が法人税法上も適用されるとしても会計学上の発生主義自体に内在的な制限、限界が存するのみならず、慣習或は条理によって刑罰法規の内容を補充するに当ってもその慣行或は条理自体は厳格に解されなければならないのみならず、刑罰法規の内容を補充し得る範囲についても罪刑法定主義の内在的要請から、その補充し得る範囲につき、厳密なる限界が要求されなければならないのである。

(2) 而して、会計学上発生主義によるべき場合にあっても、法人の所得につき収益及び費用の発生形態が現金主義を適当とし且つ納税義務者において継続して現金主義による計算を行っている場合は発生主義の適用が排除され、或は発生主義の意味内容の多様性に基き発生主義適用の基準となるべき事実としての損益の発生を確認し得べき事実を如何なる事実に求めるかにより発生主義の適用が制限されるなど、法人の所得計算につき、会計学上も発生主義を採用すべきことは必ずしも絶対的な要請ではないのである。

(3) 更に会計学上の発生主義は近代企業特に大企業の如き、大規模な反覆的且つ複雑な取引関係の累積する所得についてのみ妥当するものであり、被告会社の如き小規模な法人に対し大企業において、会計学上慣行として採用されているとの理由のみを以って法人税法罰則の構成要件としての所得の意味を解釈するに当り条理或は慣習として発生主義を採用し刑罰を科することは、厳格に解釈さるべき犯罪構成要件を単なる会計学上の技術的、便宜的制度を以って補充する結果となり、明かに罪刑法定主義の精神に違反し、憲法第三一条により許されないものと云わなければならない。

(4) 原判決は昭和四二年の改正後の所得税法においては、(同法第六七条の二)「小規模事業者に付き、収入した金額を所得」とする所謂、現金主義が認められるに至った旨、並にこれが発生主義の原則に対する特例規定であると判示しているが、抑々公正、安全、明瞭、確実を期する上から云えば、現金主義が原則であらねばならぬことは自明の理である。従って右は特例規定ではなく原則規定である。発生主義は便宜主義に基くものであって、非合理的なものである。合理の原則に立つ法律が非合理的なものを原則とすることはあり得ない。現金主義こそ原則規定であって、改正法は従前の法文がその文言の形式から法の真精神を誤解せしめ易く、斯る誤解に基き運用されて来た幣害を是正せんがためのものである。

なお、発生主義と云っても限界があることは既に述べたところであって、「収入すべき金額」と言う「べき」は、「単なる将来性」を意味するのではなく、将来当然現実に収受されるという絶対と云うことは云い得ないにしても、高度の確実性を有するものでなければならない。而して、本件復興建築分の所謂未収利息分は既に復興建築が倒産に瀕して居り、収入の確約性が期待されないものであることは云うまでもない。斯る確実性の弱いものに課税徴収し、将来、現実に収受されなかった場合、便宜的にこれを是正する税制度があったとしても、斯る不合理性は事前に、必要止むを得ざる最少限に止められなければならないものである。単に「税金納付」という金銭的な面だけで済される問題ではなく、それが脱税として刑罰を科せられる問題でもある点に注目しなければならないのである。税務官吏の現金主義によるか発生主義によるか、発生主義によるとしても如何なる程度を以って確実とするかの認定によって課税され、納税された後、将来現実に収受されなかった=認定が誤っていた=として、後になって、金銭的に是正されても、斯る誤れる認定により既に課せられた刑罰は取り消されることはあり得ないものである。斯くては国民の権利は著しく不法に侵害され、国家の理念に反し、憲法の根本精神に背く結果となるのである。

本件は正しくその好個の実例である。「税金」であるからと云って不当に国民の権益が侵害されてもよいと云うことはできない。税金はそれによって国民の正当な権益を擁護し、国民の幸福に寄与すべきものであるのにかかわらず、不当な課税、不当な徴税方法、これによる不当な科刑が行われるようでは主客顛倒である。公共の福祉の中には個々人の福祉が当然に含まれていることを忘却してはならないのである。

二、原判決によれば法人税法には昭和四〇年改正前の所得税法一〇条一項と同旨の明文はないけれども、近代企業会計に於ては発生主義が採用されているから、法人税法においても発生主義の原則が採用されていると解されねばならないと判示しているが、この点、単に法人税法の解釈を誤るものであるのみならず、罪刑法定主義の原則にも反し、憲法第三一条に違反するものであると主張すること従前の通りであるが、仮りに然らずとしても、所得税法が前記の通り、昭和四二年改正法により、小規模事業者に付き「収入した金額を所得」とする現金主義を採用した(同法第六七条の二)のであるから、法人税法の場合においても、これを準用若しくは類推適用して、被告会社のような小規模の法人には、現金主義の原則を適用して事実認定を行うべきが、適法であると云わなければならないのである。然るにこと茲に出でざりし原判決は、法令の解釈を誤り、引いて事実誤認をなした違法があると云わなければならないのである。

三、以上要するに原判決は、法律の解釈を誤り、単に近代の大企業においてのみ、便宜的、技術的見地から会計学上の一つの原則として利用されている、発生主義の原則に捉われ、本件被告会社の如き小規模の法人に対しては現金主義の原則によるべきであるのにかかわらず、発生主義の原則を一律に適用して、事実認定をなし、発生主義自体に内在する制限、限界は勿論、税務官吏とは異り、単なる会計学上の原則のみでなく、刑罰を科すると云う刑事裁判のうえから要請される罪刑法定主義、疑わしきは罰せずという大原則の省察に欠くるところがあると思料されるのである。裁判所が若し、後日収入が実現しなかったならば、次年度において欠損として計上されればよいと云うが如き見地に立って、刑罰を科することがあったとしたならば国民は「泣面に蜂」であって、人権軽視も甚しく、後日になっても、現実に収受されなかった被告等は到底原判決に服することができないのである。

第四点 原判決は「弁護人の主張に対する判断」のうちの、「三、利息制限法所定の制限利率を超える未収利息収入について」と題する部分の、(一)において弁護人の主張を、(二)において右弁護人の主張に対する原審の判断を掲記しているので、茲にこれを引用して重複を避けるものであるが、右原審の判断は、以下述べる理由により法律の解釈を誤り、引いて事実を誤認した違法があり、右違法が判決に影響を及ぼすことは明白である。よって原判決は破棄さるべきである。

一、仮りに前記第三点における主張が認められなかったと仮定しても、利息制限法制限超過の未収利息分に付き納税義務を認めることは違法である。

二、その根本理由は原判決が弁護人の主張として掲記している通りである。法律が利息制限法違反の超過利息契約は無効であるとし、超過分を利息として収授しても、それは法律によって元本に組み入れられたものであると看做されるような、不確実なものを「収入すべき金額」と認定すること自体が既に問題である。国家の法令が二途に出づることがあると云うならは由々しき重大事である。税法は利息制限法によって無効とされる制限超過利息分を、「収入すべき金額」に含ましめる趣旨で規定しているものでは断じてない。「収入すべき金額」という文言は如何に税法であるとは云え、単に経済的な観点のみで立法されたものではなく、当然に経済的観点のみで解釈さるべきものではない。「収入すべき金額」とは「法律上収入すべき金額」という趣旨であらねばならぬ。

福岡高等裁判所は昭和四二年行コ第七号審査法定及び所得税更正決定等取消請求控訴事件に付き、「いまだ実現されていない収入は法律的に保護されたものでなければ収入すべき権利の確定したものと云うことはできない」と判示している。

又、最高裁判所は昭和四三年一一月一三日大法廷判決を以って、利息制限法制限超過分が元本に充当され尚、余りある場合は、不当利得による返還請求権の行使を認めている程であるから(昭和四一年(オ)第一二八一号)利息制限法の制限超過分は法律的に保護されたものでなく、収入すべき権利の確定したものではない。従って「収入すべき金額」ではないのである。

三、「収入した金額」という法条の下で且つ、既に現実に収入した金額が、利息制限法違反の超過利息分の収入であった場合は、所謂税法の経済的利益という立場から、それがたとえ私法上、無効のものであり、後日、法律上争われて元本に組入れられ収入とならなかったことになる場合でも、これを「収入した金額」として課税の対象として認定することは何等違法ではないことは、云うまでもないところである。

四、なおその他の理由は次の通りである。

(一) 法人税法第九条第二項によれば罰金科料につき税法上必要経費或は預金に計上することが許されず、所得計算上、除外されている。その趣旨は、かかる支出は正当な行為に基く支出でない故である。同じ趣旨から、利息制限法違反の超過利息分の未収金額は、「収入すべき正当な金額」ではないから、所得の計算上除外さるべきである。

(二) 利息制限法違反超過の利息額相当分の未収金を「収入すべき金額」であるとして、国家に課税権を認めることは、国家が禁止している違法行為を国家自ら容認する結果となる。

第五点 被告人等には法人税逋脱罪の構成要件の内容たる事実に対する認識、即ち、故意は全く存在していないのであるから、原審が被告人等を法人税逋脱罪を以って処断したことは違法である。而して該違法が判決に影響を及ぼすことは明白である。よって原判決は破棄さるべきである。

一、前記第一点において述べた如く、元来被告会社は資本金一千万円の範囲内に於て営業し適法に法人税を申告納税していたものであり、被告政岡は被告政岡個人として被告会社とは別個に営業していたものであるが、欠損のため所得はないので所得税の申告納税をしていなかったところ、前記の如く、税務官吏等の指示により、被告政岡個人の取引分を、被告会社の取引分として引継をさせられたので、その結果、被告会社の昭和三七年度の申告に脱ろうがあるということになり、修正申告をさせられるに至ったのであり、その経緯については既述の通りであるから、被告人等に本件法人税逋脱の犯意がなかったことはこの一事によっても明白であると云わなければならない。

個人から法人に引継させられて、(而からもそれは法人成ではなく、法人と個人が別個に併存していたものである)その結果としての事実に付き、罪となるべき事実の認識があったのだと認定されて刑事処罰を科せられるということは、余りにも苛酷である。税金のごとであるから、被告政岡の個人取引を被告会社の取引として引継ぎさせられ、被告政岡個人分としては所得税を納付する義務がないのに、被告会社の取引分として引継ぎさせられることによって、被告会社として、修正申告を余儀なくされ、追加納税しなければならないことは、金の面だけのことであるから、我慢の仕様もあると思料し、修正申告に応じ納税をしたけれども、その結果刑罰まで科せられるのであれば、最早や我慢の出来ないところである。若しそのようなことであるならば断じて引継の要求に応ぜず、死を堵して抗争した筈である。

被告人等は本件が送検され、検察官の取調べを受けても、「徴税」を目的とする税務官吏と検察官とは自ら立場を異にするから、本件の如き経緯によるものは、よもや起訴されるものとは考えて居らず、裁判を受けるに至っても、無罪の判決あるべきものと期待していたのである。蓋し前叙の通り真実が被告会社の取引ではなく、飽くまで被告政岡個人の取引であったのであり、前叙の経緯により、納税という公共的意義をも考慮して不本意ながら、引継の要求に応じた次第であるからである。

従って本件所得の基礎となった行為時においては、被告会社の行為であるとの認識はなく、被告会社の所得であるとの認識もなく、況んや、被告会社に納税義務が存在するとの認識は勿論、被告会社の法人税を脱がれようとする目的もなく、かかる目的のもとに詐偽、その他の不正行為により、法人税を免れる行為をしようと思ったこともなく行ったこともないのである。

二、特に本件のうち、復興建築に関する分については、証人綾野が受取って保管して居り、被告政岡の関知せざるところであるから、被告政岡については、未収利息についての認識が全く存在しなかったのであり、又収益の帰属時期に対する認識もなかったのである。即ち、被告人等は「収入した金額」についてのみ納税義務があるものと信じていたのであって、「収入すべき金額」としての未収利息について納税義務があるとの認識はなかったのである。のみならずそもそも、根本的に証人綾野においてすら復興建築分に関しては未収利息と云う認識を有していなかったのであり、綾野は前叙の通り債権は消滅して利息は発生しないものと信じて居り、復興建築の代表者角橋の前叙事情による懇請により、公正証書を作成したり、念書、確約書を受取っていただけで、該各書面に記載されている利息に関する記載は後日の買戻金算定の資料としてのものであるとの認識に基いてこれ等を預っていたものに過ぎないのである。況んや、証人綾野に指示せず、直接復興建築と接渉せず、綾野から報告を受けていない被告政岡において、未収利息についての認識を有しなかったのは当然である。それ故に被告人には脱税の結果を発生せしめた事実の認識は勿論、その予見も全くなかったのである。

従って被告人等に罪となるべき認識、即ち故意=犯意がなかったのであるから、本件犯罪は成立しないのである。右は証人綾野、被告政岡、証人富永、証人鈴木の原審における各供述及び原審において検察官が証拠として提出した「念書写」(引継書)によって明白である。

第六点 原判決は量刑不当の違法があり、該違法は判決に影響を及ぼすこと明白であるから、破棄さるべきである。

一、仮りに前記第一点乃至第五点の各主張が認められないとしても、原判決が被告会社に対し罰金七〇〇万円、被告政岡に対し罰金一〇〇万円を科したことは量刑著しく不当で、苛酷であると思料されるのである。

二、その理由は次の通りである。

(一) 前記第一点乃至第五点における各主張は、仮りにその主張が容れられなかったとしても、本件の量刑の上からは極めて重要であるから量刑不当の事情として茲にこれを引用して重複を避けるものである。

(二)(1)被告政岡は郷里の小学校卒業後、家業の農業に一時従事したあと、大正六年頃、二十才の時北海道に渡り、間もなく材木業を開業して以来昭和三〇年頃迄北海道及び大阪において山林伐採業或は材木仲買業一筋に従事してきたところ、その間昭和二〇年の空襲の際大阪において右足の膝関節より下の部分を全部失う傷害を受け、材木業に従事することが出来なくなったため、やむなく昭和三一年頃上京し、浦和市において昭和三四年二月頃不動産の売買業を目的とする浦和土地開発株式会社を設立して、不動産業を開業したものである。ところが昭和三五年六月一五日に至って被告会社の社長として金融業を営んでいた右被告人の次男武が白血病のため死亡するに至ったので、右被告人はやむなく被告会社の経営を引継き被告会社の社長に就任したのである。

右被告人は現在前記各会社の社長のほか貸ビル業を目的とする寿商事株式会社の社長を勤めているが、右被告人には家族として、男三名、女二名の子供があり、息女は既に他に嫁いでいるが、右被告人自身は前記右足の負傷のほか高令であるため、しばしば身体の不調を訴えていたところ、本件に付き東京国税局の査察を受けた以後度々がんの手術を受け現在なお静養中である(原審へ提出した診断書によって明白)。

右被告人は前記の通りその人生の大半を山林を相手とする材木業に捧げてきたものであるが、その間昭和四一年五月には郷里である愛媛県周桑郡三芳町が同町の社会、教育、文化、産業の振興に貢献し、その功績があったものを顕彰する目的で名誉町民条例を制定されるや、同町名誉町民第一号に推されたのみならず、昭和三九年及び同四〇年一二月には母校である同町庄内小学校に二度にわたりプール建設及び美術室の建設資金として合計金百万円を、更に昭和四一年四月には同町に教育育英資金として金五百万円を寄附し、同町に財団法人政岡育英会を発足せしめるなど、郷里の教育、文化の発展向上のため尽力し、再三にわたって表彰されているものである。

その他、被告政岡は、富士見女子短期大学に多額の融資をしていたが、同大学の学園騒動から融資金が焦げ付いたけれども、これを回収しようとせず却って学校再建のため資金を注ぎ込み、推されてその理事長に就任し、教育のため尽力している次第である。

(2) 被告会社は前記の通り被告人政岡弥三郎の次男である武が資本金五百万円を以って設立した会社であり主として不動産を担保とする金融並びに手形割引を業としているものである。その後被告政岡が社長となり資本金を一千万円に増資したけれども被告政岡が社長に就任した前後を通じ、被告会社の経営は社長及び社員一、二名程度で経営しているに過ぎない個人企業であり、被告会社の如き金融会社にあっては、銀行、信用金庫等の金融機関と異りかかる金融機関から正規な借入れの出来ない資力、及び信用の薄い者に早急に融資する必要があるため綿密な調査をする余裕のないまま貸付ける関係上、その貸付元本の回収すら不可能な場合が多く、仮りに不動産を担保として提供せしめても既に他の金融機関において先順位の担保権を設定しており右担保物件からの回収は多くの場合期待出来ない実情である。

従って被告会社等にあっては仮令高利の契約を締結しても利息制限法による制約を受けるのみならず貸付金元本の回収すら不能な場合があるのであるから、如何なる高利で貸付けたとしても、元本を全額回収し、利息迄受領することは全く不可能であり、毎事業年度における貸倒れによる欠損金は莫大な額に達するのである。

昭和三七年度において、貸付先の倒産等の理由により元本並びに利息の回収不能による欠損額は前記復興建築に対する貸付金のほか左記の通り合計金九千三百八十七万二千百円に達するのである。

左記

(一) 小松原学園

貸付金元本 金二千五百七十万円

利息金 金三百十八万四千四百円

(二) 菊地鉄工所

貸付金元本 金八百五十二万円

(三) 太高興業株式会社

貸付金元本 金七十二万六千円

(四) ホテル三松

貸付金元本 金九十万円也

(五) 桃園局銀昌

貸付金元本 金百四十二万二千四百円

(六) 宝金荘

貸付金元本 金七百五十五万円也

(七) 西条市雄

貸付金元本 金九十万円也

利息金 金一八万九千三百円

(八) 市川定雄

貸付金元本 金二百九十五万円

(九) 川村商事株式会社

貸付金元本 金三千四百万円

(十) トップ石井仁

貸付金元本 金四十五万円

(十一) 東興産株式会社

貸付金元本 金七百三十八万円

合計金九千三百八十七万二千百円也

右貸付金並びに利息についてはいずれも融資先の倒産等により全く元本及び利息の回収が不可能であるためやむなく、その請求権を放棄し、或は全く回収不能となったものであって昭和三七年度事業年度における所得の計算上、当然欠損金として計上さるべきものである。

しかるに被告人等は前叙の如く、税務官吏吉田、福永等に屈服させられ且つ計理士の進言もあって、昭和 四〇年一一月八日被告会社の昭和三七事業年度法人税の修正申告をなし当該事業年度における被告会社の所得金額は金四千三百四三万八千七百三一円あった旨申告したものであるが実際は右所得金額には前記欠損金については貸倒元本金を欠損として所得より控除せず、且つ未収利息についても所得に計上して右所得があったものとして修正申告をなし、その法人税金一千八百四四万四千七百二〇円也を納付して納税に協力しているものであるが、起訴され裁判まで受けるに至ったので、飽くまで真実を主張して争うに至った次第である。

(3) 被告政岡は前記の通り昭和三四年二月頃浦和土地開発株式会社を設立しその経営をしていた当時、不動産業を営む大谷場荘と共同で約一万四千坪の土地を代金一億二千万円也で購入し、他に右大谷場荘に対し金三千百九四万円を貸付けていたところ、右大谷場荘の経営者は詐欺横領事件を引越し、ために大谷場荘は倒産するに至り右貸付金が全く回収不能に陥ったのみならず、被告政岡が購入した右土地も他に売却処分され、その代金四千万円を右大谷場荘に横領されるなど莫大な損害を蒙っているのみならず、被告会社を経営するに至った以後においても、前記の通り利息の未収は勿論のこと貸付金元本の回収不能等により毎事業年度赤字を計上しているのが実状であって、右は被告政岡の個人会社であるから、結局被告政岡の損失に帰し、かかる事情も本件についての被告人等に対する情状として充分御斟酌さるべきものと確信するものである。

三、以上の次第であるから被告両名に対する原判決の処断は量刑著しく不当であると思料する次第である。

四、以上の事実は証人綾野、被告政岡、証人鈴木、同富永等の原審における各供述及び原審に於て被告等が提出した各情状証拠によって明白である。

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